Iyokan’s blog

書くこと大好き、介護士です。日々、思うことを綴っていきたいと思います。

大切な時間。

今週のお題:『読書感想文』

『モモ』作者:ミヒャエル・エンデ

 

時間泥棒は、案外身近なところにいるのではないか・・・と感じる今日この頃。

この本を再読して、自分の❝時間❞を見つめ直す、良いきっかけとなった。

 

私の大切な時間も彼らに奪われてしまっていたのではないか・・・?

 

はっとした時には遅かった。私が大切にしてきた時間は、無駄なモノと判断され、私自身も手放してしまった過去がある。

あの時、自分は無力で、それが正しいと思っていた―。

 

 

これは、今から15年前、私が高校を卒業して、社会人になった時の話。

 

私は、数ある職業の中から、『介護士』という職種を選んだ。

理由は単純なものだった。お年寄りは好きだし、なにより介護の世界は人手不足ということもあり、常に募集がある状態だった。

当時は職業難という言葉もあるくらいに、高卒の就職率は低いものだった。だから、比較的安定していると思われる介護士になる決心をした。

 

介護なんてしたことがなく、何も分からない状態でのスタートだった。

介護と聞いて思い浮かべたのが、お年寄りに寄り添って、できないことを補っていく、素敵な職業だと思っていた。

 

実際に働いてみると、そんな理想は幻だったことに気が付いた。

 

働いている職員は常に時間に追われていて、『介護』という仕事も『作業』でしかなく、笑顔もなく、淡々と仕事をこなすという、そんな人が多かった。

中には素敵だと思う介護士もいたけれど、そんな人は一握りもいなかった。

 

まだ若かった私は、まわりは気にせず、自分の思う介護をして行こうと心に決めていた。

ナースコールが鳴ればすぐに対応し、悩みのある利用者様には、隣に座って落ち着くまで話を聞いて、落ち着きなく動き回る利用者様には、転ばないように後ろから見守って・・・それが介護士として当たり前だと思っていた。

 

だけど、年配の職員は私の姿を見て、「あの子はまたおしゃべりして働かない」「仕事も遅い」「迅速な対応ができない」―そんな評価だった。

 

入職して三ヵ月も経つと、年配の方々の不満は爆発した。

 

「もっと早く手を動かして」

「そんなことはやらなくていいから、こっちを先にやって」

「話なんてゆっくり聞かなくていい。それは、看護師の仕事だから」

 

そんな言葉に支配されて、私もまわりの人と調和が取れなくなることを恐れ、嫌われることを恐れて、ただスピードを求めて働くようになってしまった。

 

お風呂介助に一人に掛けられる時間は、着替えも含めて15分以内、一人当たりの排泄介助は3分以内、食事介助は15分以内、居室の環境整備は15分以内・・・こんな感じで、すべて時間で計算していた。

 

話を聞いて欲しいという利用者様には「あとで行きます」と言い、一緒にベッドの上を片付けて欲しいという利用者様には「手が空いたら行きます」とか、そんなことが日常となった。

 

慣れというのは怖いもので、そんな最低な介護をしていても罪悪感はなかった。とにかく仕事を早くこなせる者がベテランで、尊敬される職場だった。

 

ここに来て三年も経つと、素早く仕事ができるようになり、年配の職員からも感謝されるようになった。

だけど、それと引き換えに、楽しさは感じられず、もう介護士を辞めたい気持ちでいっぱいだった。

 

ある日、図書館で『モモ』という本を見つけた。私の大好きな本で、この本を読んだのは中学生の頃だった。あの頃も衝撃を受けたけど、大人になった心で読むと、違う角度から物語を捉えれら、衝撃を受けた。

 

私の頭の中で、❝灰色の男❞の声が聞こえた気がした。

 

「あなたは無駄に時間を使いすぎている。利用者様の話を聞く時間、お風呂介助や食事介助時の無駄なコミュニケーション…そんな時間を削れば、もっと手早く仕事ができて、みんなから尊敬される」

 

 

時は流れて、『介護』という世界も見直され、『介護士』というあり方も変わってきた今日この頃。

私は、今も介護士を続けている。

 

私にもモモが見た❝時間の花❞が見えた気がした。

 

人が人と接する中で、『無駄』な時間なんてない。

人は一人では生きられない。常に寂しさを感じながら生活している人もいる。そんな人たちに話しかけたり、手を差し伸べたり、笑いかけたり―そんな素敵な職業が、介護士なのだ。

 

灰色の男たちは常に近くにいて、私たちを見張っている。

そんな泥棒たちにあげる時間などない。15年前の経験を忘れずに、❝時間❞や❝まわりの人たち❞を大切にして行こうと強く思った。